2022年5月1日

GW2日目午前 - のんびり

起きたら気怠い。原因はわかっていて、夜遅くにアルコールを摂ったからだ。いつもなら朝に走ってしまえば頭は冴えるのだが今朝は雨で走らず。

タスクリストを確認する。昨日は書き出した13個のうち5個をこなすことができた。3日の猶予の中で順調なスタートだったと言えるけど、今朝はまだ1つしかcloseできておらず、のんびりと本を読んでいた。

以前だとのんびりと言えばiPhoneでダラダラとSNSをチェックすることだった。本を年間100冊読むと決めてからSNSはTwitterだけにした。InstagramとYouTubeは危険だ。際限なく見れてしまう、そして何も残らない。Twitterはフォロー数を100までとし、タイムラインを長くしないこと、おすすめ欄を見ないことにした。こうしてiPhoneを触る時間を激減させることに成功した。なんとなくiPhoneを手にしてしまうのは今も変わらないけど、すぐに使い終えるので本を読もうという気になる。

読書は何かを残すのか?と言うと読む本にもよるし議論の余地もあるだろう。けれど少なくとも僕にとっては無作為に時間を過ごしたと後悔はしなくなった。少なくとも100冊読むことに対しては進んでいるわけだからだ。

さて、午後からはタスクを捌いていって帳尻を合わせねば。

2022年4月30日

GW1日目 - ぼんやり














世間は大型連休の2日め、暦どおりの企業が多いのだろうか?学校はそうだろうな。僕は今日からという変則的な考え方をする企業に勤めている。5/2(月)を休みにしたいからということらしいけど、5/6(金)は営業するという、気が利いているのかいないのかよくわからない。こういうのは素直に暦どおりにするか、気を利かせたいなら10連休にすべきなのだ。中途半端はいけない。
そんなわけで僕の休暇も無事に(無事にと書きたくなるほど多忙だった!)スタートした。
まずは洗濯から。休みが明けたらクールビズだからね。先に頑張って後で楽したいタイプなのだ。予定を前半には入れず後半だけにして、半分をいつもの週末のように過ごし、半分を大型連休らしくホテルでのんびりする。
洗濯機が回っている間にコーヒーを飲みつつ、リーガルパッドにタスクを書き出す。手帳を見ながらやるべき事を洗い出していく。この方法は最近仕事で上手くいっているやり方だ。
洗濯が終わってベランダに洗濯物を干す。天気いいね。今朝はあえて走ることもしなかった。多忙な中サボらず走ることもこなせていたし、まずは何もかもを癒すのが先だ。それにしてもこの時季にしては肌寒い朝だ。あまり記憶にない。
さっきまではビーチ・ボーイズを聴いていた。寒いけど爽やかな朝にふさわしい気がして。今はボブ・ディラン。声がなんとなく切なくて忙殺された僕の心にはちょうどいい。
タスクも書き出せた。あとはこれらを合間に本を読んだりして休みながらたらたらとこなしていくだけだ。
頭はぼんやりとしている。昨日は遅くまでみっちりだったので疲れているのだろう。何らかの充実した気持ちや誇りは満たされているが、仕事は麻薬のようなものだ。謎の満足感に陥るおじさん達は多い。若い子はもっと「公私」を分けているのかな?僕はどちらでもいたくない、両方で後悔しないように頑張るだけ。
今日からは「私」のターン。のんびりしながら好きなことをしよう。こんなに自由な時間があるというのは嬉しいものだ。ステレオ化したHomePod miniから聴こえる曲は「ミスター・タンブリンマン」。

2022年3月26日

読書の効用














今年(2022年)は本を100冊読んでみようと決めて毎日欠かさず読んでいる。1つのことを継続すると何か目に見えて変化が現れるのだろうか?と試したくなったのだ。すでに現在の時点(3/26)で36冊となかなか良いペースで読めている。ちなみにここ3年の読了数はというと、

  • 2019年 - 18冊
  • 2020年 - 19冊
  • 2021年 - 32冊

本を積極的に読もうと思い始めた2021年こそ大きく増加が見られるが、月に1-2冊というペースである。何かの調査によると日本人の平均は月に0-1冊らしいのでそれよりはマシという程度だった。それが今年は月10冊は読んでいて読書が好きだと言えるぐらいにはなった。でも世の中には1000冊なんていう化物もいて(そういう人は速読の技術を習得していたり、オーディオブックを活用しているようだ。)、自分はまだまだ可愛いレベルらしい。まあそれでも普通の人は「月に10冊読んでいます。」なんて聞くとちょっと引くと思う。もう今どき本なんて読まれないのだ。動画配信、ゲーム、マンガ、アニメと面白いコンテンツは山ほどある。 みんなSNSにも忙しいしね。

じゃあ、本をたくさん読む人はなぜ読むのか?1000冊レベルの人たちは知識を広げ深めるために読んでいるという。仕事や生活に役立てるため、自分を成長させるためのようだ。「知識をインストールする」という表現を何かで読んだ記憶があるが、次から次へと読んでいくということがまさにそうなのだろう。自分の場合も(100冊は少ないかもしれないが)目的は同じだった。

しかし実際には知識のためだけに100冊というのは難しく、楽しむために小説や、気楽なエッセイなども読みたくなる。冊数を気にするあまり読みやすい本を選んでしまうのだ。でもそれでいいと思っている。そうじゃないと続かないし飽きる。普通の自分にはこうしてバランスを取ることが大事だと思った。無理に100冊読もうと思わず止めてもいいのでは?とも思うが、せっかく始めたこともあるし続けたいし。

こうして当初の目的からややズレて続けている読書だが、脱線することによって思わぬ効用があることに気付いた。それは心に小さな変化が起きるということだ。心に小波(さざなみ)が立つ、または小さな波紋が起きると言えばいいのだろうか。起承転結の幅が小さい文学を読むことで、小波のような小さな心の変化が起き、やがて収まる。短編や詩を読むことによって、心に小さな波紋が広がり、やがて落ち着く。この小さな心の動きによって、内容がじわりと頭の中に浸透していくような感覚がある。これが心の平穏を保つのにとても良いのだ。朝の出勤前や寝る前に本を手に取ることで心を落ち着かせることができる。「さあ会社行くか」「よし寝るか」と自然に思えるのが案外に大きい。忙しかったり嫌なことがあっても大丈夫だと思える。ランニングの気持ち良さを知った時のような感動があった。

100冊という目標で始めたことが、思わぬ体験をすることになった。もうこれからはずっと続けられるだろう。読書は僕の中で、もはや切り離せない大切なことになった。

2022年2月27日

いつも同じ格好。


 







ができたらいいなと思う。その傾向がコロナ禍を機に強まってきた。

出掛けることが減ると必要な服の枚数が減り買う回数も減る。せいぜいコンビニやスーパーのワンマイルなのでスウェットのセットアップがちょうどいい。でもずっとスウェットは無理だ。

緊急事態宣言が出ておらず、まんぼうなら出掛けられる。そんな時はお気に入りの服を着て行きたい。ファッション誌はスウェットでいいんだと言っているが、それは平日がテレワークの人たちの世界の話で、ウィークデイが出勤の僕には関係のないことだと思っている。

スウェットは気に入った物を2つも持っている。そのうち1つはオリーブグリーンが綺麗なそれこそ街にも着ていけるであろう逸品だ(もう一方は杢グレーで着心地がいいこちらも大好きだ)。けれど週のうち5日をドレススタイルでかっちりとしていると、都会にスウェットというのは気が引ける。落差があまりにも大きいのだ。公共交通機関や店舗でずっと人目に晒されるのにそんな格好で耐えられるとは思えない。自信を持って着れることこそファッションの醍醐味なのだし。

ましてや言うほどスウェットで街中に出ている人を見ることがない。見かけてもやんちゃな若い子ぐらいだ。いい歳した自分が着ていたらファッションに興味がない人がほとんどの中では痛々しい。まともなサービスも受けられると思えない。

ファッション誌だって週末はおしゃれをしようと言っている。そうじゃないと服はスウェットしか売れなくなってしまうし(そう、スーツは見放された)、スウェットしか載っていないファッション誌なんて見たくない。


ここでようやくタイトルに触れられる。コロナ禍で週末はスウェットで過ごすことがほとんどになった。シーズン毎に服を楽しみたいと言っても着る機会が圧倒的に少ない。さらに昨今ではサステナブルという人類が避けられない問題も露わになってきた。服を頻繁に買い替えることへの抵抗が出てきたのだ。

僕たち中間層は長い間、アパレル業界にトレンドを喚起させられてそれに乗ってきた。お仕着せのように見えても僕らはそれを喜んで受け入れて乗ってきたんだ。長い間続けてきたこの流れはなかなか急には変えられない。毎シーズン着る服を替えるのが服好きの楽しみなのだ。普通の人だってトレンドはなんとなく気にしている。

そこで思いついたのが1シーズン1コーデというやり方だ。アウター、トップス、ボトムスを1着だけ買う。そして3か月それをずっと着るのだ。

これがやってみたら案外楽しかった。当然飽きがくるのは早かった。たまに街に出掛けるといつも同じ格好だから当たり前だ。けれど1着ずつ厳選して良い物を妥協せずに選んでいるから、飽きたあとに愛着がやってきたのだ。これは大きな発見だった。長く着れそうな1着を見つけられるかもしれないという希望が見えてきたのだ。

服好きの究極の目標はトレンドに左右されない自分のスタイルを確立させることだ。この理想への道が少し見えたかもしれない。冒頭の写真のCIOTAのデニムがとても気に入りこの先ずっと穿いていたいと思えた。こうした出会いは今までシーズン毎に服を買ってきた経験が活きたのだと思う。厳選できる眼が養われていた。

旅行も同じ格好で通した。1泊2日しかも冬ということで汗や汚れを気にせず済んだ面もあったけど、飽きながらも心地良いというこれまでになかった感覚を楽しめた。

同じ格好は飽きるが良い物を選べば心地良いし落ち着く。このことを発見できてこの冬はファッションがいつも以上に楽しかった。春も同じやり方でいこうと服を揃えた。ボトムスは色違いのCIOTAにした。


服を買いすぎることにはもう抵抗がある。だから1コーデだけ。そして厳選した物選びをして自分のスタイルを確立させていき、トレンドは適度に取り入れ楽しむ。これがこのコロナ禍でファッションのあり方を考えさせられた僕の今のところの結論だ。

2022年1月30日

雨やどりの宿 雨情草庵

















コロナ感染拡大の波の間を縫うように温泉宿に宿泊してきました。
今回はTwitterのモーメントにまとめたものを掲載します。

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2021年12月31日

読書に耽る年末年始。

Kindle Paperwhite シグニチャー エディションと三体














年末年始は読書に耽っています。
このところ忙しかったせいか本をゆっくりと読みたいなあと思っていました。読みたい本をいくつか仕入れて新しいKindle Paperwhiteで読んだり、積んでいる本を片付けています。
やっぱり本を読めていると楽しいし気分が落ち着きますね。静かな休暇を過ごせています。

いくつもの月曜日














そして本Blogの今年の更新はこれで最後になります。読んでいただいているみなさまに感謝いたします。
良い年をお迎えください。

2021年11月30日

痛くなる脚と履けないシューズ。
















9月に脚を傷めているという記事を書きましたが、実は未だに治ったと思える状態に戻っていません。こんなに長引くとは思ってもいませんでした...

平日の5kmは問題なく走れるのに、週末それ以上を走ると痛み出すということを繰り返しています。
ストレッチ、筋トレ、フォームといろいろ試していますが、いったいに何が答えなのかわからずにいます。

それでもエントリーしたマラソン大会をきっぱりと諦めることにしたので気持ちは落ち着いてきました。落ち込むけれどじっくりと治そうと思っています。大会さえなければ焦って無理をしトレーニングする必要がないですからね。

痛くなれば走らない、走りたくない日も走らない、気持ちがいいから走るという、走りはじめたころのような気持ちに戻るべきなのだと思っています。

残念なのは冒頭の写真のシューズ、NIKE ズームペガサス 38が履けないことですね。買ったころにちょうど傷めてしまって履けずに靴箱に置いたままになっています。
たぶん、今でも5kmを走る分には問題ないので履こうと思えば履けるのかもしれません。でも治ったと思えるまでは履きたくないですね。気兼ねなく走れるようになったら時の楽しみに置いておこうと思っています。

果たして存分に走れる日は来るのだろうか?と不安になります。でも3歩進んで2歩下がるではないですが少しずつ前に進んでいる感覚もあります。せっかちな私にそれはしんどいことですが、もう少しあと少しだと思って頑張ります。